毎年、新年の2日に父母ふたりが住む実家へ帰ることにしている。
帰省と言っても車で片道1時間半だから、毎回日帰りだ。
実家は昭和30年代に建てられた古い団地で老朽化もかなり進み、
今年夏以降の取り壊しが決定している。これに合わせて、すでに
数年前から新しい現代風のマンションが近隣に建設されていて、
父と母は今夏からそちらに移り住む予定だ。
4階建ての団地の3階に実家---僕が小学校から大学までを過ごした
家がある。毎年ここに来るたびに「変わらないなあ」と思うのだが・・
家の前にあったピンクの滑り台のある公園は数年前に駐車場へと
姿を変えた。お隣さんも、下に住んでいたおばさんも、今はもう居ない。
近所のスーパーマーケットも忠実屋で無くなったのはもう10年も前だと
母親が言う。僕がまだ黄色い安全帽を被り黒いランドセルを背負っていた時代の、
子供と若い家族と明るい光に溢れていたあの住宅街は、もう、無い。
いつものように14時頃に家に着き、新年の挨拶をし、
母親が大量に用意していた食事をする。もちろんすべては食べられない。
食事が終われば家を後にする18時頃まで、ひたすら話をするだけだ。
3つ違いの兄がふと「この家でみんなが揃うのは今年で最後だよ」と言った。
その言葉には別段せつない響きがあったわけでもなかったけれど、
なんとなく・・・この家に住んでいる時代にあったいろんなことを思い出した。
帰り際、母親がある物を奥から出してきて、これ持っていく?と聞いて来た。
それは、僕がまだ小学校低学年頃、夏のお祭りや花火大会のときに履いた
黄金バットの描かれた青い草履だった。
とてもよく覚えていた。
てっきり自分のものだと思っていたのだけれど、兄も「ああ、これは僕のだね」と
言っていたので、ひょっとすると僕はお下がりを履いていたのかもしれない。
手にした小さな草履は鼻緒がかなり痛んでいて、ツヤも無くなり掛けていた。
要らないよ、と初めは言ったのだけれど、何となく勿体無い気がして
結局はもらって帰って来た。
あの時着ていた浴衣の柄まで覚えている。この草履を履いて、頭の上で
大きく開く花火の大きさに驚いたあの頃。
大学時代から実家を離れ、卒業と同時に就職をし、もうそろそろ20年が経つ。
仕事を通じて数え切れないほど知り合いも仲間も増えたけれど、
日常の中で実家のことを思い出すような瞬間は、ほとんど無い20年だった。
今夏、あの2DKの団地---実家が無くなる。
今日になってこの草履を母親が出してきてくれたのは、ひょっとするとあの家が
母親を使って僕に最後の思い出を託し、お別れを言ってくれたのかもしれない。
僕のこころの中にある実家は、いつでもあの明るい陽射しと空気の中にある。
幼い冒険心と興味。周りに居たたくさんの大人たち。
思えば僕の今は、あの小さな実家から始まっていったんだ。
ありがとう。